JOKER


猫の泣き声 第1話

――…いつまでこの苦しみに耐えなくてはいけないのか。
何故、こんな目に遭わなくてはいけないのか。
わからない。
誰でも良いから救い出してほしかった。
自由になることだけを、いつもいつもただ夢見ていた。
いつかこの地獄のような鳥籠から逃れることだけを心の支えに、毎日を生きていた。

主人が用意した趣味の悪い服に身を包み、主人の性の捌け口にさせられる。
そのためだけに集められた子供達。
男女関係なく幼いものばかりが集められた。
拾われた、親から売られた等経緯は様々だが皆10歳にも満たないような可愛らしい容貌の者ばかりだった。
主人は幼児性愛者――ペドフィリアだった為に、主人が子供達に強要する行為は須く変態じみた常軌を逸したものばかり。
中にはその悪夢のような日々に耐え切れず、で気が触れてしまう子供もいた。
仲間が狂っていく様を見て、いつか自分もこうなってしまうのではないかという恐怖、明日は主人にどんな行為を強いられるのだろうかという恐怖の二つに板挟みにされ、先の見えない不安に震える毎日。
子供達に出来ることと言えば耐えることと泣くことだけ。
主人の部屋から聞こえてくる仲間の悲痛な声に耳を塞ぎ、子供達が身を寄せ合う部屋の中ではすすり泣きが絶えることはなかった。


「イシェちゃん…?」


屋敷の一角、誰も寄り付かない物置も同然の部屋でイシェリアは一人縮こまって俯いていた。
泣きたい時は必ずこの部屋にきて一人きりで泣く、少し前まではそれが日課だった。
けれど、少し前から一人で泣くことが二人で泣くことに変わっていった。
呼ばれて顔を上げたイシェリアは、自分を愛称で呼ぶ少女を見つめ返した。


「ファルファ…」


イシェリアより2つ、3つほど年上に見える、その少女の名はファルファ。
イシェリアと同じく、主人から飼い慣らされている子供のうちの一人だった。
ファルファの顔を見た途端に、イシェリアの紫闇の瞳が大きく揺れる。
みるみる涙が溜まっていったかと思うと、まるで堤防が決壊したかのようにイシェリアの瞳からボロボロと涙が零れ落ちた。
イシェリアの涙に誘発されるように、ファルファの頬にも静かに涙が伝う。
ファルファはイシェリアを抱き締め、イシェリアもファルファにしがみつくように抱き付き、二人は抱き合って涙を流した。
互いを支え合い、慰め合って来れたからこそ日々の苦痛に耐えられていた。


「…ファルファ、ここ、痣が出来てるよ。痛い…?」


一頻り泣いて涙を拭っていた時、イシェリアの目にふとファルファの手首が映った。
何かで縛られたのか、痛々しい痣が残っている。


「このくらい何でもないよ。…イシェちゃんこそ、腕から血が出てる…大丈夫?」


心配そうにファルファを気遣うイシェリアの腕にもまた、ファルファとは違う傷があった。
爪を食い込まされたような痕から血が滲んでいる。
指摘されて初めて血が出ていることに気づいたイシェリアは、ぺろりと傷口を舐めた。


「……痛い。…ねぇ、ファルファ……ボク達、いつまでこんな痛いことしなくちゃいけないのかな…?ボク、もうやだよ…」


紡ぐ言葉に次第と涙声が混ざる。
この生活から解放されたい、そんな願いがこめられたイシェリアの呟きを聞いて、ファルファは唇を引き結んだ。


「ファルファ…?」


突然黙り込んでしまったファルファの様子を伺うように、イシェリアはおずおずとファルファの顔を見つめる。
不安げなイシェリアの表情を目の当たりにして、ファルファは意を決したように静かに口を開いた。


「イシェちゃん、私ね、ずっと考えてたんだけど……二人でここから逃げ出さない?」
「逃げ出す?」
「そう。多分ね、いくら待っても私達を助け出してくれる人なんて現れないと思うの」
「え…っ?!」


ファルファの言葉に今まで支えにしていた希望が打ち砕かれたような気がした。
けれど、続けて紡がれたファルファの言葉でイシェリアの中に新しい希望が芽生える。


「だからね、この生活から逃げるためには自分から行動しなくちゃいけないのかなって思ったの」
「自分、から…?」
「そう。自分の手で自由を掴み取るって思ったら、何かカッコイイよね」


はにかんだように笑いながらそんなことを口にするファルファが何だか眩しくて、イシェリアはただ惚けたようにファルファを見つめた。


「だからね、私ココから逃げようって思うんだけど、イシェちゃんも一緒に行かない?」
「…僕も、行きたい。ココから出たいよ…」


不安そうなか細い声で応えたイシェリアを元気付けるように、ファルファはにっこりと笑ってみせた。


「じゃあ決まりね!一緒にここから出よう!あっ…!」


嬉々として張り上げてしまった大声に、慌ててファルファは口を噤む。
キョロキョロと周囲を見回し、誰にも話を聞かれていなかったことを確認して、ホッと息を吐いた。
その様子が何だか可笑しくて、イシェリアが込み上げる笑いを堪えられなくなって笑い出した。
キョトンとしたファルファも、少しの間を置いて、つられるように笑い出す。
絶望の中で一度でも希望を見いだせると、何もかもが輝いて見える。
前向きになれるのだと初めて知った。
何より、ファルファの嬉しそうで楽しそうな笑顔がイシェリアの不安を根底から吹き飛ばしてくれた。
しかし、ひとしきり笑うとファルファは笑い声を引っ込めた。
呟くように言葉を続ける。


「…でもね、きっと、ずっと一緒にいるのは無理だと思うの」
「……」


ファルファの言わんとすることはイシェリアにも理解出来た。
この屋敷で暮らすようになって、どんなに望んでも叶わないことはいくらでもあるのだと知っていたから、ファルファの言葉に何も言えなくなる。
曇るイシェリアの表情とは対照的に、ファルファはあくまで笑顔を崩さない。
ほんの少し寂しさを滲ませた笑顔で、ファルファは続ける。


「だからね、コレ。私だと思って持ってて?ずっと一緒だよって願いを込めて、ね?」


そう言ってファルファはイシェリアに銀細工のアクセサリーを手渡した。


「これをね、こうして…」


言いながら、ファルファはイシェリアが受け取ったそのアクセサリーに、ポケットから取り出した紐を通す。
そのまま、ただただ惚けたようにファルファの行動を見守るしかなかったイシェリアの首にかけてやる。


「これでよしっ!ほら、お揃いね」


にっこり笑ったファルファは、自分の首から下げたペンダントを服の下から引っ張り出した。
ファルファの胸元で銀色に輝くそれは、イシェリアに渡したものと全く同じものだった。

「キレイでしょ?私の宝物なの。片方はイシェちゃんにあげる。離れ離れになった時は、それを私だと思ってね!私もこれを見る度にイシェちゃんのこと思い出すから」
「うん、有難うファルファ。大事にするね」


ギュッときつくペンダントを握り締め、嬉しげに礼を述べるイシェリアに、ファルファも眩いほどの笑顔を向けた…――