「アンジェ、何の本読んでんだ?」


先ほどから行儀良くソファーに座って読書に没頭しているらしいアンジェに、
洗濯物を片付け終わり清々した様子でキラが問いかけた。


「あ、キラおにぃちゃん!あのね、動物図鑑見てるの」
「動物図鑑?」


アンジェの隣に腰掛け、キラはアンジェの持つ分厚い本を覗き込む。
様々な動物の写真や解説が載っているところを見ると、
成程間違いなくただの動物図鑑のようだ。


「…にしても、何か珍しい気がするな。アンジェがそんな本読むなんて」


動物図鑑なんて男の子が好んで読みそうなものだという印象が強い。
…偏見かもしれないが。


「アン、動物さん好きだよ?」


一瞬きょとん、としたアンジェは、気を取り直して話を続ける。


「あのね、パパとキラおにぃちゃんとシゼルちゃんがね、どの動物さんっぽいかなぁって」
「あぁ、成程なぁ。面白そうだな」


どれどれ、と乗り気になったキラも真面目に図鑑を見つめた。
同時に頭では、まずシゼルを思い浮かべる。
あの高飛車で気位が無駄に高くて人を寄せ付けないような雰囲気、
しかも外見はしなやかで優美ときた。
そんなシゼルを例えるなら、そう…。


「シゼルは猫っぽいな、しかもやたら血統と格式だけは高いような」
「あっ、そうかも!キラおにぃちゃん、シゼルちゃんのこと良くわかってるんだね〜」


いや、ちっともわからないぞ、と否定するがアンジェは全く聞く耳を持っていない。
敢えなく華麗にスルーされた。
当のアンジェはパラパラと図鑑の猫のページを捲り、
シゼルにしっくりくる猫の種類を探しているようだ。
そしてこれだという猫を見付けたのか、あっと声を上げてキラを見た。


「キラおにぃちゃん、この猫さんは?シゼルちゃんに似てる気がするっ!」


そう言ってアンジェが小さな手で指差したのはロシアンブルーという品種の猫だった。


「ロシアンブルー?なになに?ロシアンブルーという猫は…」


説明部分に視線を走らせる。

ロシアンブルー。
外見的特徴として、長い胴体は骨格が細く、脚は長くて華奢に感じ、
全体的にしなやかで優美。
性格は、頭が良いため飼い主を信頼し、信頼するあまり他人には警戒心が強く、
他人を寄せ付けない気性もある。

…らしい。


「…まんまシゼルだな」


飼い主をルノと置き換えれば完璧だ、とキラが呟く。
まさにシゼルを猫にしたような猫で、あまりにもそっくりすぎて正直驚いてしまう。


「僕がなんですって?」
「ぅぐッ?!」


耳元に声が響いたと思った刹那、突然背後からガシッと首を掴まれて、
思わず変な声を上げてしまう。
キラの首を掴む細い指の持ち主は、ちょうど今話題に上がっていたシゼル本人だった。
いつの間にやら訪れていたらしい。


「あっ、シゼルちゃん!いらっしゃいっ」
「うん、お邪魔してます。…で、何の話してたんですか?僕が何だって…?」


アンジェににっこり笑いかけ、再びキラに向き直ったシゼルは一転して冷たく問い詰める。


「いてっ、痛ェ!お前爪立てんな!いててて!!」


シゼルがその綺麗に整っている女爪をワザと首に食い込ませてくるものだから、
結構…否、かなり痛い。


「素直に言えばやめてあげますよ」
「いっ、て…!だから!
お前を動物に例えたら何の動物っぽいかってアンジェと話してたんだよ!離せ!!」


台詞を吐き出し様、首を掴むシゼルの手を力一杯振り払った。
爪痕が残ってしまっている首元を痛そうに摩る。


「シゼルちゃんはね、ロシアンブルーっていう猫さんがそっくりだったの。
次はキラおにぃちゃんがどの動物さんに似てるかなぁって」
「へぇ、皆のこと例えてるんだ」


やっと合点がいったというような反応を見せたシゼルは、
自身もまた興味深そうにキラとは反対側のアンジェの隣に腰を下ろして図鑑を覗き込んだ。


「…この人は犬で良いんじゃない?
その辺にいくらでもいる、素朴で単純で従順かどうかはともかく、良く吠えるし」
「誰が良く吠えるって?!」
「聞こえませんでした?あなたですよ、アナタ。負け犬ほど良く吠えるって言いますしね」
「お前に負けた覚えは一度も無ェ!
大体お前みたいなひ弱そうなヤツに力で負けるとも思えねぇしな」
「そうやってすぐ力に訴えようとするところが単純だって言うんですよ。
全く嫌になりますね、これだから野蛮人は」


やれやれ、と小馬鹿にしたようにワザとらしく溜め息を吐くシゼルと、
それに食ってかかるキラとの、頭上で繰り広げられている諍いを気にすることなく、
アンジェはマイペースに図鑑を眺めている。
シゼルの意見に賛同したのか何なのか、犬のページを捲っている。


「どれがキラおにぃちゃんっぽいかなぁ…?」


アンジェの呟きに言い合いの間を縫ってチラリと図鑑に視線を戻すと、
ある種類の一匹の犬がシゼルの目に映った。
途端にシゼルの瞳がからかうネタを見付けたとばかりに悪戯げに揺れる。


「あなたはチャウチャウにそっくりですね」


可笑しそうに笑いを含んだ声から告げられ、
チャウチャウとはどの犬だとキラも図鑑に目を向けた。
途端、絶句する。


「ほら、その間抜け面なんて瓜二つじゃないですか」


クスクスと楽しそうに、尚且つやっぱり馬鹿にするように笑うシゼルが小憎たらしい。


「ちっとも似てねぇよ!!」


全力で否定するもシゼルは涼しい顔で受け流し、
チャウチャウの性格部分を読み上げ始めた。


「意思が強く良い番犬になる反面、しつけるのがなかなか難しいとされる。
多少我が儘で攻撃的な傾向。幼少の頃からの矯正が必要…
…――野蛮なところまでそっくりですね」


ふふん、と鼻で笑うシゼルに反論しようにも
的確にやり返せるような言葉が咄嗟に浮かばない。
苦し紛れにキラはアンジェを味方に付けようと足掻き始める。


「なぁアンジェ、ちっとも俺と似てないよなぁ?この犬」
「わぁ!可愛いね、このワンちゃんっ」


キラの示したチャウチャウの写真を見てアンジェが黄色い声を上げる。
可愛いと本気で言っている様子のアンジェのリアクションに、
呆気に取られて思わずキラとシゼルは顔を見合わせた。


「…可愛いか?」
「愛嬌のある顔と言えないこともないですけど…」


どちらかと言えばやっぱりブサイクだろう、
とアンジェの意外な趣味の一面に戸惑ってしまう。
血は繋がっていないにしろ、やはりルノと親子なだけはあるな、
と妙に感心せずにはいられない。


「んー…でも、このワンちゃんも可愛いけど、
キラおにぃちゃんにはコッチのワンちゃんの方が似てる気がするの」


コレ、とアンジェが示す先にはブリタニー・スパニエルという種の中型犬の写真があった。
どれどれ、と覗き込んだシゼルが説明文を読む。


「えーと?」


ブリタニー・スパニエル。
筋肉質で均整の取れたたくましい体型をしており、小ぶりながら頑健な犬種。
四肢は長めで、動きもとても軽快。
エネルギッシュで遊び好き、狩猟犬ならではのスピードと持久力を持つ。
反面闘争的ではなく、穏やかな気性の持ち主。
飼い主の言いつけを良く理解し、従順で頭が良い。

…だそうだ。


「…なんかコレ褒めすぎじゃない?」


この犬をキラに例えるとすれば、あまりに良いことだらけで面白くない。
からかい甲斐がないとシゼルは言いたいらしい。


「流石アンジェだな、俺の良さを良くわかってる!お兄ちゃんは嬉しいぞ…!」


シゼルから散々蔑ろにされた後なので、キラは大袈裟とも言えるほどに喜んでいる。
よしよし、とアンジェの頭を撫でて心底褒め称える。


「だってキラおにぃちゃん、パパの言いつけは何でも聞いてるでしょ?だから」


にこっ、と眩しい笑顔を向けながら言い放たれたアンジェの言葉に、
アンジェの頭を撫でていたキラの動きがピタッと止まった。
同時にアンジェの言葉がグサッと突き刺さる。
アンジェの目には、そんな情けない姿が焼き付いていたのか、と。

実際本気で何か文句でも喚きたてようものなら問答無用で銃をぶっ放されるので、
平和主義な性格上逆らわずにいるわけだが。

…殺し屋で平和主義というのもやたら信憑性に乏しい話だと突っ込まれそうだ。

どちらにしろアンジェには、キラと、そしてシゼルの飼い主はルノだという認識があるようだ。
キラは一度頭を振って気を取り直し、努めて明るく話題を変えようと口を開いた。


「じ、じゃあ次はルノだな」
「パパは…ん〜と……何だかシゼルちゃんと似てる気がするの」


外見的に、と言いたいらしい。
ルノもシゼルも西洋の血を象徴するような白皙の、
繊細で気品のある美貌の持ち主だ。
美形という面での系統が似ている。


「じゃあ、ルノも猫科の動物かな?」
「だろうな。アンジェ、猫科の動物ってどんなのがいるんだ?」
「えっとね、猫さん以外のはぁ……」


犬のページから再び猫のページまで戻り、
更にそこから順にページを捲って他の猫科の動物を探す。


「ライオンさんとかー…」
「ルノはライオンみたいにこう…のそっとはしてないよ」
「何かちょっと違うよな」


シゼルとキラが口々に否定する。
アンジェもキラとシゼルに同意見らしく、あっさりと次の動物のページを開いた。
次の猫科の動物は虎だ。


「虎さんも何だかパパとは違うような気がする…」
「あからさまに獰猛ではないもんな」
「じゃあ次の動物は何?」


シゼルから促されて、再びパラリとページを捲る。


「これはチーターだね」
「ちょっと近くなった気がするけど、でもまだ何か違うよな」
「うん…じゃあ次の動物さんだね」


ペラッとページを捲った先の動物は豹だった。


「あっ!」


ページの一角にある写真を目にした途端、アンジェが嬉しげに声を上げた。


「「「これだ!」」」


アンジェとほぼ同時にその写真を見たキラとシゼル、三人の上げた声が見事にハモる。
三人が注ぐ視線の先には、真っ黒で艶やかな毛皮を持った黒豹の写真があった。


「あ〜何かこう…ルノって感じだな、見た目からして」


スラリとした、しなやかな肢体は機敏性に富み、
薔薇の棘のような肉食獣特有の冷酷さがある様はそのままルノのイメージに繋がる。
それだけならば只の豹でも同じだが、黒いということが最大のポイントらしい。


「…木登りが得意で、子育て等も木の上で行う……
捉えようによっては過保護とも取れるから、性質も合ってるかもね」


ルノのアンジェに対する過保護さのことを引き合いに出しているらしい。
シゼルが楽しげに言う。


「へぇ。力が強くシマウマなどの大型草食獣、
時にはゴリラを捕食することもある、だってよ。めちゃくちゃ強ェなぁ」
「やっぱり黒豹さんはパパだよ!」
「うん、決定だね」


満場一致、締めにアンジェの満面の笑顔で場が和んだ直後、
外から高級車と思われる車のエンジン音が響いてきた。
玄関の門前に停まったようで、誰だろうかとシゼルが窓際に歩み寄る。