「うー…っ!うぅーっ」

翠の部屋、敷いてある布団の隅っこで琥珀は小さく丸まって呻く。

「…琥珀?」

流石にその呻き声が長引くので、始めの内は放っといていた翠だったが
何事かと思い布団の上の琥珀に声をかける。

「どうかしたの?」
「う〜……うぅ……」

近くに寄ってみると、琥珀はグテッと布団に突っ伏していて、そのつぶらな双眸は涙で濡れていた。

「ちょっ…琥珀!何泣いてるの?!具合でも悪いの!?」

琥珀の小さな体を抱き上げると翠は焦ったように声を荒げる。

「いてーッ!揺らすなー!!いてェよぉ…」
「…は?痛い?…っ、まさか琥珀…!」

振動で痛がるということにピンと来た翠は琥珀を布団の上に降ろす。
そして…

「ぐがが…っ……うー!!」
「琥珀!おとなしく口を開けるんだ!!」

琥珀の顎と鼻っ面を掴んで無理矢理口をこじ開けようとする翠に、琥珀は必死に歯を食いしばり抵抗する。

「あっ!琥珀の大好きな稲荷寿司、沢山貰って来てたの忘れてた」
「えっ!マジ?!…ぐぇっ」
「嘘に決まってるだろう?」

にっこり笑いながら翠はうっかり小さく口を開いてしまった琥珀の隙をついて、見事に琥珀の口をこじ開けた。

「あぁ、やっぱり…。琥珀、また僕の見てない間に盗み食い繰り返したね?」
「し、してねーよ!」
「嘘ばっかり。じゃあこの虫歯は何?僕と一緒の時はいつも琥珀の歯磨いてあげてるよね?
なのに虫歯が出来たってことは僕に隠れて何か食べてた証拠だ。
…まったく、この間も食べ過ぎでお腹壊したっていうのに懲りないねぇ」
「しょーがねーだろ?!食いモンがオレを誘惑するんだよ!ぅあいてッ!!」

ベチッと鈍い音を響かせながら翠のデコピンが琥珀のデコに炸裂する。

「にしても、この虫歯どうしようか。……よし、僕が引っこ抜いてあげる」
「嫌だ〜ッ!翠の鬼ィっ!!」
「あっ、琥珀待て!」

想像してしまった虫歯を引っこ抜かれる光景に恐れをなし、琥珀は大慌てで翠の腕の中から逃げ出す。
そのまま部屋の外に出ようと扉まで猛ダッシュする。
その時…

「翠、入るぞ?」

翠の返事を待たずして、黒曜が室内に入って来る。

「いってェ!!」
「いてーッ!!」

思い切り走っていた為急に止まれず、琥珀はモロに黒曜の足に激突してしまった。
黒曜と琥珀の声が見事に重なる。

「何やってるのさ、二人共…」

翠は脚を押さえて蹲る黒曜と、跳ね返って転がる琥珀に呆れたような視線を向ける。

「ッ…てめ…琥珀!何、人の脛に突っ込んで来てんだよ、いてェだろうが!!」
「好きでぶつかったんじゃねーよ!恨むんなら翠を恨め!翠のせいだ!!」
「人のせいにするな。琥珀が悪いんだろ?自業自得だよ」

うしろから翠にひょいと抱えられ、琥珀は絶望に満ちた潤んだ瞳を持ってして
藁にもすがる思いで黒曜に助けを求める視線を送る。

「…琥珀が何かやったのか?」
「盗み食いのしすぎで虫歯になってるんだよ。だから僕が引っこ抜いてあげようかと思って」
「そりゃあ流石に残虐なんじゃないか?」

口許を引きつらせる黒曜の言葉に、うんうんと琥珀が頷く。

「残虐も何も、元はと言えば盗み食いしてた琥珀が悪いんだから。
はい、ちょっと琥珀持ってて。逃がしちゃダメだからね?」

にっこりと笑いつつ、翠は黒曜に琥珀を渡す。
むしろ、この笑顔が一番恐ろしい。

「ぅあーッ!黒曜離せーっ、離してお願いッ!!」
「…悪いな、無理だ。諦めろ」

哀れな琥珀から目を逸らしながら、それでもしっかり琥珀を捕まえて、黒曜は溜め息混じりに言う。
あの笑顔に逆らえるわけがない。

「琥珀、もう一回口開けてみて」

何かの糸を片手に、翠は再び琥珀の口をこじ開けにかかった。

「ぅぐ〜〜っ」
「琥珀、いい加減諦めろ。観念して歯抜かれた方が痛みは一瞬で済むぞ?」
「このヤロ、他人事だと思いやがってぇ!…ぁがッ」
「有難う、黒曜。琥珀の口開かせてくれて」
「悪いな、琥珀」

口を閉じられないように翠にガッチリ顎を押さえ込まれ、あがあがと何か言いたそうにしている琥珀に
罠にはめた張本人たる黒曜は本当に悪いと思っているのか疑いたくなるような口調で謝罪を口にする。

「あれ?」
「どうした?」

琥珀の口の中を覗き込み、翠は間の抜けた声を上げる。

「琥珀の虫歯部分…グラついてる」
「俺の足に激突してきたせいじゃないか?」
「あ、そうかも。良かったね、琥珀。あんまり痛くないかもしれないよ?」

大して救いにならないようなフォローを入れると、翠は何か考え込むように小さく唸る。

「…ねぇ黒曜、これ糸じゃなくて指でそのまま抜いても大丈夫かな?」
「俺じゃなくて琥珀に聞けよ…ま、どっちにしろ嫌だろうがな」

俺が琥珀の立場だったら絶対に両方とも嫌だ、と内心考えながら黒曜は翠の行動を待つ。

「う〜ん……よし。直接引っこ抜く」
「だったら早くしてやれ。放心してるぞ、琥珀のヤツ」
「あれ、ホントだ。じゃ、琥珀…いくよ?」


―――――――ブチッ


「〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」

声にならない悲鳴を上げる琥珀。
翠が琥珀の顎から手を離していれば、きっと大絶叫が響き渡っていただろう。
悲惨な光景に黒曜は目を伏せ、翠は抜いた琥珀の虫歯を手に相変わらずニコニコ微笑んでいる。
…そんなに楽しかったのだろうか。

「うぅ…あがあぁ〜〜」

翠の手と黒曜の手から解放され、伏せの体勢でその前足を使い、
琥珀は自分の口を掻きむしるように押さえる。
そのフサフサの尻尾が痛みのあまりか、忙しなく振られている。
嬉しいわけでは断じてないようだ。

「琥珀、これに懲りたら盗み食いはもう止めるんだよ?
まぁ、また虫歯になっても僕は構わないけど。何度だって抜いてあげるし」

ね?と、翠に至極穏やかに微笑まれ、黒曜に同情の視線を向けられて、
琥珀は二度と盗み食いはしないと自らに誓ったのだった…―