安らぎの檻 朽ち逝くとき−新しい首輪*前編−


ざくざくと地面を踏み締めながら雪解けの小道を進む。
冬耶の実家に向かうため、冬耶と雫はこれまで旅をして来た道程を引き返していた。
この道を通ったのもいつのことだったろうか。
以前訪れた時と季節が違うせいか、景色もまるで別物のように見えた。

いつもなら、そんな小さな発見にもはしゃいで冬耶に報告する雫も、
冬耶に求婚されてからのここ数日は本当に静かだった。
冬耶に話しかけたいという仕草は見せるものの、
何と話しかけていいのか途端にわからなくなるといった風に口を噤むの繰り返しだった。
冬耶は少し気まずげではあるものの、出来るだけこれまでと変わらずに接しようとしている。
だから尚のこと、雫だけがぎくしゃくしているように見えた。
俯いて冬耶の後ろをついて歩く雫を、冬耶もちらちらと気にしつつ黙々と歩を進める。

「…ん?」

ふと何かを見付けたのか、冬耶が足を止めた。
俯いて歩いていたために冬耶が立ち止まったことに気付かず、
雫はそのまま冬耶の背中に激突した。
ぶつけた鼻を擦りながら、冬耶が何を見付けたのかと冬耶の前方に視線を移せば、
そこには朱い鳥居が建っていた。
しかし、雫の記憶が確かならば、以前ここを通った時にも鳥居はあったはずだ。
何がそんなに気になるのかと、おずおず冬耶に問い掛ける。

「鳥居がどうかしたんですか…?」
「鳥居っつーか、稲荷神社なんてこの辺りにあったか?」
「稲荷神社?」

冬耶に言われて改めて注視してみれば、
確かに稲荷神社の特徴たる朱い鳥居が連綿と連なっている。
鳥居の側に寄り、本殿があるのだろう階段の遥か上方を見上げた冬耶が
更に何か見付けたのか声を上げた。

「お誂え向きに狐までいるぞ。お前の仲間じゃないか?…ああ、でも毛色が違うな」
「えっ?」

仲間じゃないか?と言われて、雫も興味本位から冬耶の視線を追う。
そこには冬耶の言う通り、一匹の狐の姿があった。
尾は九つ、美しい銀毛の、まるで仔犬のような見た目の雫とはまるで違う、
立派な体躯の狐が石段の上に佇んでいた。
神の遣いに相応しい、神々しささえ備わっているかのような狐だ。
しかし、その狐を見た途端、雫が金縛りに遭ったかのように身体を強張らせた。
信じられないものを見たとでも言うように、その銀色の毛皮を持つ狐から目が離せなくなっている。
銀毛の狐を物珍しさのあまり凝視していた冬耶は雫の様子に気付かず、
そのまま銀毛の狐を見詰めながら雫に話しかけた。

「あの狐も九尾だろ?白い狐もいるんだな」
「……父様」

愕然として呟いた雫の言葉に、冬耶がぎょっとして雫の方を見る。
雫自身も我が目を疑うとばかりの表情を浮かべて、石段に佇む狐を見詰めていた。
狐も、じっと雫を見詰めている。
やがて、ゆっくりと立ち上がった狐は、ついと背を向け石段を駆け上がっていった。

「あっ…!冬耶、すみません!日が暮れる前には戻りますから、先の村で待ってて下さい!!」
「おい、雫…!!」

雫が一つ目の鳥居に踏み込み、石段を駆け上がった刹那、
一つ目の鳥居から先の空間がぐにゃりと歪んだ。
まるで雫が狐の姿から人の姿に変わる時のような空間の歪みが収まると、
連綿と続いていた無数の朱い鳥居は全て消えていた。
鳥居と共に上方まで続いていた石段も消え、
石段があった場所には古びた道祖神の祠だけが残されていた。
朱かったはずの一つ目の鳥居も、元の木の色そのままの、
風雨にさらされ苔むして年季の入ったものに変わっている。

「…どうなってんだ」

すべて幻だったのか。
一人取り残された冬耶は、呆然と雫が消えた祠を見遣ることしか出来なかった。
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